――――――――――――――――――――――――――――――
ホームページ『レフティやすおの左組通信』から―
 (初出)2003年12月

 *2018年1月4日 一部加筆修正
 *2018年1月12日【14年後の一言】追加
――――――――――――――――――――――――――――――


【2・私の望み 】

私は決して贅沢を望んでいるわけではありません。
ただ世間並みに、右利きの人たちと同じレベルの楽をしたいだけなのです。

まわりの人の目を気にすることなく、隣の席の人に気を使わず、利き手である左手にペンを持ち字を書きたい、利き手である左手に箸を持ってご飯を食べたい、それだけなのです。
片垂れ式のヘッドホンのコードで利き手の動きをじゃまされたくない、大きな荷物を持っているわけでもないのに半身になって自動改札を抜けるような真似はしたくないのです。
自然な持ち方で切り取り線を見ながら、刃先がフッ素加工されたハサミを使って、べたつきなくシールを切りたいのです。

右利きの人より楽がしたいとか、今まで左利きに冷たい態度で接していた右利きの人を懲らしめたいとかいうのでなく
(まあ、ひと世代かふた世代ぐらいなら振り子のゆり戻しで、右利きの人が虐待される時代があってもいいかとも思いますが)、
ただ単に同じ平凡な一人の人間として少しでも楽をしてみたい苦労の種を減らしたいと願うだけなのです。


くりかえします。

私の望みは、せめて一人の人間として、右利きの人たちと同程度の平凡な生活を送りたいだけなのです。

左右対称に作れるものは左右対称に作る左右どちらかに寄せる必要のないものは中央に設置する、それだけのことで右利きの人も左利きの人も共用できるものになるはずです。

どうしてもどちらか一方の利き手/利き側に偏らねばならぬようなものの場合は、左右両用できるようなものにする――たとえば左右両側にスイッチなりなんなりを設置して。
あるいは右用左用を一定の割合で用意する――人口のおよそ一割が左利きとすれば、一割前後の左利き用を用意する。

このようなちょっとした心がけと工夫で、かなりの問題がクリアされるのです。

ほんの一歩譲ってください。
ほんの一瞬気を使ってください。
それだけで右利きの人も左利きの人も(そして「中間の人」も)、お互いに幸せになれるのです。


━【14年後の一言】━━ 

2018年1月4日に加筆した「中間の人」の説明をしておきましょう。

一般に利き手(利き側)は、「右利き」「左利き」とに二分されるのですが、ときに「両利き」という人もいます。

「両利き」というのは、主に右手でも左手でもある程度のことはできる、という人のようです。

しかし「両利き」といいますと、何でも右も左も可能、というイメージを与えます。
実際には、そういう人は一万人に一人ぐらいの希少な性質です。

大抵は、先にも言いましたように、箸や字を書くといった「特定の動作で右も左も」、あるいは「ある程度左(あるいは右)も使える」というケースです。


利き手・利き側の偏りの度合いを調べる「エディンバラ利き手テスト」の調査結果を見ますと、「偏りの度合いの強い右利き」からその反対極に位置する「偏りの度合いの強い左利き」までの間には、「偏りの度合いの弱い右利き」「偏りの度合いの弱い左利き」の人々が存在するのです。
そこで私は、これらの人々に関しては、「強い右利き」と「強い左利き」の間に分布する「中間の人」と呼んでいます。


この「中間の人」たちが、従来は社会的な圧力で「右利き」に組み込まれていたのです。
その結果、左利きの割合が過少に算定されることにつながっていたのだと思われます。

そこで、これらの人たちが本来の利き手・利き側に準じた生活をするようになれば、左利きの割合が増え、左利き用品等の商品価値も大きく変化するのではないか、と私は考えています。


そんな時代が来ればいいなあ、というのが、今の私の願いであり、望みです。


--------------------------------------------------------------
*左利き宣言―レフティやすおの左利き私論1