左利きライフ研究家レフティやすおの左組通信ブログ

2016年に消失したホームページ『レフティやすおの左組通信』に代わるものとして、左利きライフについて、及び読書や本の話題、ベランダ園芸、その他あれこれについて書いてゆきます。

物理的バリア

【14年後の解説】━左利きの問題を知ろう/左利き私論―はじめに(2)━

2018.1.

上記の文章は、2004年に書いたものです。

14年の歳月が過ぎ、その後の変化について書いておきます。


 ●(1)物理的バリア

物理的バリアに関しては、前回の「【14年後の解説】━左利きの現状を見よう/左利き私論―はじめに(1)━」のなかでも一部紹介しましたように、少しずつ改善されてきてはいます。
しかし、まだまだ画期的に進歩したと言える状況ではありません。

たとえば、施設面などでは新たな障壁も生まれてきています。

2004年の文章では、銀行の紐付ペンについて書いていました。

今では、ATMの指静脈認証読取装置の問題があります。

読取装置が右側にしかないのです。
そのため左手を登録している場合、まさに駅の自動改札機のケースと同じ不便さが生じています。
左腕を身体の前で窮屈に右側に寄せなければならないのです。

*参照:
『レフティやすおのお茶でっせ』2009.12.24


もう一つ例を挙げましょう。これは改善された例です。

カメラがそれです。
(右利き専用品の典型――完成形とも言うべき一眼カメラに関しては、まだ大きな改善はなされてはいませんけれど、スマホ利用タイプのカメラでは、左右両用タイプのものも出ています。)

コンパクトカメラでは、キヤノン「PowerShot N」という機種で、シャッター・ボタンにかわり、シャッター・リングが採用され、右手でも左手でも、上からでも下からでも押せるものになりました。(その後に出た新機種「N2」では横でもどこでも押せるようになりました。) 

インスタントカメラの富士フイルムのチェキの新機種「instax SQUARE SQ10」は、左右にシャッター・ボタンが設置されました。

どちらのカメラも基本的に左右シンメトリーの形状で、左右共用品の典型になっています。


それに先立つ、2009年に登場した富士フイルム「FinePix Z300」というコンパクトカメラには、モニターの液晶画面をタッチすることでシャッターが切れるタッチ・シャッター機能が搭載されました。
その後、各社の一部カメラでも採用されるようになり、これも左右どちらの手でもシャッターが切れるカメラとなっています。


*『レフティやすおのお茶でっせ』過去の【左利き対応カメラ】記事:


【左右共用一眼タイプ・スマホ利用カメラ「Olympus Air A01」】
・2015.4.11 

【左右共用カメラ「PowerShot N/N2」】
・2015.3.18 


Canon デジタルカメラ PowerShot N2 自分撮りモード搭載 PSN2

201502Canon PowerShot N2

(画像:右手でも左手でも使える、360°全方向シャッター・リング)


・2013.5.15 
・2013.4.26 
・2013.1.30 
・2013.1.28 

130516lefthanded camera

(画像:右が2013年に買った「キヤノンPowerShot N」と、左が左手用フィルム・カメラ「京セラSAMURAI Z2-L」)

・2014.10.20 



【左手用カメラ「京セラ サムライSAMURAI Z-L/Z2-L」】
・2004.8.5 


 ●(2)心理的バリア

心理的バリアに関しては、これも前回の「【14年後の解説】━左利きの現状を見よう/左利き私論―はじめに(1)━」で紹介しましたように、少しずつ改善されてきてはいます。
左利きを一方的に「悪」と決めつけるような、理不尽な考え方はほぼなくなったといっても過言ではない、というところまで来ています。

反面、では「左利きを容認する」といっても、「積極的に左利きを擁護し支援しよう」という態勢とは違い、「黙認する」というレベルが大半のように思われます。

確かに一部「左利きフェチ」と呼ばれる人たちが出現し、左利きに好意を持つ人も増えてきました。
ところが、それによって、左利きの不便解消のために、具体的かつ積極的に社会の構造を変革しようという方向に進んでいるかと言えば、その段階ではありません。


明らかな目に見える差別は減ったけれど、社会の奥底にある偏見は残っている――依然、目に見えない心理的なバリアが大手を振って存在している、というのが現状でしょう。


 ●これからの社会

社会においては、右利きの人たちの側の問題もさることながら、左利きの人たちの側にも問題があります。

「生れつき左利きだから」という理由で身にしみついてしまった意識の問題です。

実は、自らの不便さにも気付いていない左利きの人も少なくないのです。
それは、「○○はこういうものだ」という思い込みや「どうせ××だから」というあきらめ、諦観から来るものです。

それゆえに、右利きの人たちがいかに恵まれた環境にいるのか、どれだけ楽をしているのか、という事実に気付いていない左利きの人たちが少なくないのです。
これも心理的バリアの重要な要素です。

「目覚めよ、左利き!」と叫ばずにはいられません。


この問題は、左手・左利き用品の普及により、改善されることでもあります。
そういう意味では、二つは相互に関連している、とも言えるのです。


成熟社会である現代は、「最大多数の幸福」を追求する時代ではなく、「万民の幸福」を求める時代だ、と私は考えています。

真に豊かな時代になるように、私たち左利きの人自身が、自分の問題は自分から進んで解決することが重要です。

左利きの問題を知ろう/左利き私論―はじめに(2)

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ホームページ『レフティやすおの左組通信』から―
(初出)2003.12(最終)2004.4.8

 *2018年1月3日 一部加筆修正
 *2018年1月9日 「14年後の解説」(別ページ)
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【2 左利きの問題を知ろう 】

では、「右利き偏重社会」における「左利きの問題」とはどういうものでしょうか。


 ●(1)物理的バリア

一つは、手にする道具や機械、あるいは生活や作業をする家および施設における設備や構造の多くが右利き仕様であるという、道具のようなものや環境といった“物的”なハード面の問題です。

道具類は近年いくつもの企業が左利き用品を製造販売するようになり、個人で解決できるようになって来ました。
まだまだ品種、品質、デザイン、価格など不満な点はありますが、改良されてきています。

しかし基本的には、左右共用可能なものはでき得る限り、共用化を進め、それが不可能な使う手を限定する道具においては、右利き用と同一価格で一定の比率の数量(例えば全体の一割以上)の左利き用を製造販売しなくてはならない、といったルールを設けるなどの社会全体のバックアップが必要ではないでしょうか。

施設面では、左利きの人にも不都合にならない設計を考える(例えば、両方に投入口の付いた自動改札機。役所や銀行の窓口の受付で申し込み用紙に記入するためのペンを用意しているがこのペンに紐をつけない、あるいはつけるなら紐を長くして左利きの人が困らないようにする)。
それが難しい場合は、一方的にどちらかが不利になることのないように、右にまわったり左にまわったりするような設計にするなどの工夫が必要でしょう。


 ●(2)心理的バリア

もう一つは、左利きに対する右利きの人たちの「偏見」あるいは無理解が生む、心のバリア(barrier/障碍、障壁)の問題です。

左利きに対する「偏見」を持った人がまだまだいます。
左利きは脳にある障碍が原因で起こると考える人がいます。
脳神経学的に見れば決してまちがっているとは言いきれない学説ですが、一般に言われる意味は必ずしもそういう学問的な意味合いではないと考えられます。
単なる中傷でしかありません。

また自分と異なる仕草振舞いのみを取り上げて、その違和感から左利きを「気持ち悪い」と毛嫌いする人がいます。
個人の好悪にすぎません。

あるいは左利きの人の字の書き方を見て「おかしい」と言う人がいます、左利きには左利きの書き方があるということを理解していないのです。
ただの無知、無理解です。

右利きと左利きの違いとは何かを理解していない人が多いのです。
利き手が違うとはどういうことか、利き手が違えば生活する上で何がどう違ってくるのか、大部分の右利きの人は何も知りません。
想像したことさえない、というのが真実でしょう。

未知のものに対する恐怖というものは、人間なら誰もが持っている根源的な感情です。
そういう気持ちが左利きに対しても無意識に働いているのかもしれません。しかしそれでは原始人となんら変わりません。

左利きに対するもうひとつの偏見は、左利きはこの現実の社会においては不利だ、というものです。
「右手が使えないと損をする。
 他の子と違うと子供がかわいそう。
 だから本人が大きくなってから困らないために、右手を使えるようにしてやるのが、大人の義務だ」
――と考える人がいます。
いわゆる「矯正」(かつて半ば強制的に箸使いや字を書くことなどを右手使いにさせることをこう呼んだ)の問題です。
左利きを右利きに直してやろう、というわけです。

確かに不利なこと、不便なことが多いのは事実です。
しかし、左利きの人はその時の気分で左手を使っているのでもなければ、親や社会に反発して困らせてやろうと左手を使っているのでもありません。
それがその人にとっての自然な性質にも基づく行為であるにすぎないのです。

何も強情を張っているのでもなければ、肉体的に劣っているわけでもないのです。
右手の代わりに左手を使っているにすぎません。
それは北半球で台風が左巻きであるのに対して、南半球では右巻きになるのと同じ違いです。
本質は何一つ変わりません。

とはいえ、さすがに左利きは生まれつきのものであるという考えが浸透して、何が何でも右利きに変えようという、かつては「矯正」と呼ばれた行為はなくなってきました。
しかし依然として、字は右手で書くものだ、左手で箸を使うのは見てくれがよくない、といった理由を挙げてこれらの行為に関しては左手使いをやめさせるべきだと考える人たちがいます。

これらの行為も本来はなんら問題にはならないものです。
見栄えの良し悪し、美醜の感覚はものさしによって変わるものですし、右手使いの人が皆美しい字を書いている、箸使いがきれいとは限りません。
左手使いでも美しい所作の人がいます、きれいな読みやすい字を書く人がいます。

これらの問題も所詮は、右利きの人の優越感の表明にすぎません。

現代における成熟した社会は、多様な価値観を認め、自由と平等の下に築かれるものです。
左利きには左利きの権利があります(しかしそれは決して「right/右、正しい、権利」ではないはずです)。

左利きだから、という理由で差別されることがあってはならないのです。
左利きだから、と圧力をかけられることがあってはならないのです。
真の民主的な社会にあっては。大人であれ子供であれ。

左利きの人が疎外感を感じることのない世の中になってほしいものだと思います。
 



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