左利きライフ研究家レフティやすおの左組通信ブログ

2016年に消失したホームページ『レフティやすおの左組通信』に代わるものとして、左利きライフについて、及び読書や本の話題、ベランダ園芸、その他あれこれについて書いてゆきます。

左利き

【14年後の解説】━左利きの活動を始めよう/左利き私論―はじめに(3)━

2018.1.
上記の文章は、2004年に書いたものです。

14年の歳月が過ぎ、その後の変化について書いておきます。



↑でも書いたのですが、14年がたった今でも左利き認知普及活動に関しては、ほとんど変化がありません。

8月13日「国際左利きの日」の活動も、「箸を通常とは反対の左向きに置く」をメインにその他の活動を行っている「レフチャス」ぐらいです。


従来一部の人たちの間で口にされていた2月10日「レフトの日」も、左手・左利き用品常設展示販売店である「菊屋浦上商事」浦上裕生社長により記念日協会に「左利きグッズの日」として登録され、公認の記念日となったぐらいです。

後は、単発で色々な企画が左手・左利き用品の企画として文具メーカーなどで行われたり、雑誌の「左利き」特集記事が時折組まれたり、テレビのバラエティ番組で「左利き」が取り上げられたりする程度です。


 ●「私にも夢がある」

私の理想とする活動は、アメリカにおける公民権運動のようなものです。
私は、左利きの問題を「人権」の問題として捉えてきました。

いずれまた紹介しますが、「左利き私論1」のなかの<左利き宣言:「私にも夢がある」>のなかで、キング牧師「I HAVE A DREAM 」スピーチ――「私にも夢がある」を引用して、「利き手の違いによる差別のない社会の実現」を目標に掲げています。

現状で左利きの人たちは、利き手の違いによって大きなハンディキャップを背負わされているのです。
にもかかわらず、社会的にはまだまだ問題視されていないところがあります。


確かに、障害者や他の社会的弱者の方々に比べれば、障壁の高さはさほどではないように見えるかもしれません。

しかし、実際に当人になってみなければ分からない部分というものがたくさんあります。
長年、この問題に取り組んできた私でも気付いていないことが色々とあるものなのです。

なにしろ人間としての生活の全領域に広がっている問題であり、一人の人間ではすべてをカバーしきれません。

そこで、一人一人がそれぞれに自分の不都合とする事柄を表明し、それらを集約し総合することで、問題として可視化できるようになるでしょう。

そういう方向で、左利きの人それぞれが自己主張して欲しいと考えています。


 ●継続的な発信を!

SNS等が発達し、個人が気軽に発信できる世の中となっているにもかかわらず、まだまだそういう状況が出てきていません。

単発で発信する人はかなりの数に上がっています。
ネットで検索して見ればすぐに分かります。
各ブログでブログネタとして「あなたは右利き? 左利き?」といったテーマで取り上げられることもあり、そういうときにはかなりの人たちが発信することもあります。


*参照:『レフティやすおのお茶でっせ』2014.7.10 
他...


しかし、継続的に左利き・利き手の諸問題を一つ一つ取り上げて提言する人は、限られた人だけです。

たとえば、ガボちゃんのブログなど。


14年前の文章にも書いたような、「組織されない少数派のサイレント・マイノリティー」ではなく、たとえ組織されていなくても、サイレントではない「発言するマイノリティー」となって欲しいものです。

発言しなければ、思いを伝えることはできません。
不便なり不都合なりを感じた一人一人の人には、その不便さや不都合加減を「世に知らしめる義務がある」と考えてください。

心の内で思うことは、単なる「願望」であって、「行動」ではありません。
言葉にして発信することで、初めて「行動」となります。


今では誰もがSNS等で簡単に発信できます。

気軽に思いついたことを箇条書きするだけでもいいのです。
たとえ小さな意見でも同じ内容の発言でも、一人一人の発信が積み重なれば、それで「山」ができます。

それらの繰り返しの中で、徐々に目新しい項目が発見され、様々な現実をみんなが「常識」として共有できるようになるのです。

まずは、発信を! 
行動を始めてください!


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*【左利きを考える―レフティやすおの左利き私論―はじめに】

左利きの活動を始めよう/左利き私論―はじめに(3)

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ホームページ『レフティやすおの左組通信』から―
(初出)2003.12(最終)2004.4.8

 *2018年1月3日 一部加筆修正
 *2018年1月11日 「14年後の解説」(別ページ)
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左利きを考える―レフティやすおの左利き私論―はじめに


【3 左利きの活動を始めよう 】

従来、左利きの人々はその問題を個人のものとして対処して来ました。
しかしそれだけでは、改善できないものが多くあるのです。
真にこの社会を左利きの人も含めて万人に優しいものに変えてゆこうとするならば、問題を感じている人一人一人がそれぞれに不都合な事柄を発表し合い、改善すべき点を明らかにした上で、社会全体で検討し、問題点を改めていかなければなりません。

左利きは左利きに都合の悪い点を右利きの人たちに示してゆかなければいけません。
右利きの人には想像できないような問題が必ずあるからです。
私たち左利きのものにしか理解できないようなレベルの問題があるのです。
それらを明らかにすることで、初めて改善への道が開けるのです。

だからどのような些細なものであれ、左利きの人は思いつくことのすべてを打ち明けてゆくべきだと思います。
世に知らしめる義務があると思うのです。

また、左利きが少数派であるがゆえに目にする機会が少ないがために、右利きの人たちが感じるのであろう、「何かが違う」という「違和感」「不思議さ」
それから発展して自分とは異なるものに対する「不信感」「胡散臭さ」
さらに昂じて自分たちの存在を危うくさせるものではないかという「疑心」
そしていつしかそれらは「悪意」というものに変容していくのかもしれません。
そういう「偏見」を形作る要素を取り払う意味でも、左利きが特殊なものではないという事実を明らかにさせなければならないと思うのです。

右利きの人の知らない、わからないであろう左利きの姿というものを左利きの人自らが明らかにしてゆくべきだと思うのです。

組織されない少数派のサイレント・マイノリティーとして社会の中で埋没していた左利き、画一的な型にはまった考え方しかできず頭の固い右利き人間にはない、弱者ゆえに人の痛みのわかる柔軟な対応性を持つ(であろう)私たち左利きこそ、二十一世紀を迎えた今、この社会をより良いものに変えてゆくための資格を持つ集団のひとつだと思います。

私たち左利きは社会の一員としてこの重要な役割を果たさなければならないと考えます。
左利きの問題を明らかにすることが、ひいては単に左利きの人権を守ることのみにあらず、広く世の為になる行為となるのです。

左利きの人たちへ――
「大いにその意見を述べようではありませんか」
 



【14年後の解説】━左利きの問題を知ろう/左利き私論―はじめに(2)━

2018.1.

上記の文章は、2004年に書いたものです。

14年の歳月が過ぎ、その後の変化について書いておきます。


 ●(1)物理的バリア

物理的バリアに関しては、前回の「【14年後の解説】━左利きの現状を見よう/左利き私論―はじめに(1)━」のなかでも一部紹介しましたように、少しずつ改善されてきてはいます。
しかし、まだまだ画期的に進歩したと言える状況ではありません。

たとえば、施設面などでは新たな障壁も生まれてきています。

2004年の文章では、銀行の紐付ペンについて書いていました。

今では、ATMの指静脈認証読取装置の問題があります。

読取装置が右側にしかないのです。
そのため左手を登録している場合、まさに駅の自動改札機のケースと同じ不便さが生じています。
左腕を身体の前で窮屈に右側に寄せなければならないのです。

*参照:
『レフティやすおのお茶でっせ』2009.12.24


もう一つ例を挙げましょう。これは改善された例です。

カメラがそれです。
(右利き専用品の典型――完成形とも言うべき一眼カメラに関しては、まだ大きな改善はなされてはいませんけれど、スマホ利用タイプのカメラでは、左右両用タイプのものも出ています。)

コンパクトカメラでは、キヤノン「PowerShot N」という機種で、シャッター・ボタンにかわり、シャッター・リングが採用され、右手でも左手でも、上からでも下からでも押せるものになりました。(その後に出た新機種「N2」では横でもどこでも押せるようになりました。) 

インスタントカメラの富士フイルムのチェキの新機種「instax SQUARE SQ10」は、左右にシャッター・ボタンが設置されました。

どちらのカメラも基本的に左右シンメトリーの形状で、左右共用品の典型になっています。


それに先立つ、2009年に登場した富士フイルム「FinePix Z300」というコンパクトカメラには、モニターの液晶画面をタッチすることでシャッターが切れるタッチ・シャッター機能が搭載されました。
その後、各社の一部カメラでも採用されるようになり、これも左右どちらの手でもシャッターが切れるカメラとなっています。


*『レフティやすおのお茶でっせ』過去の【左利き対応カメラ】記事:


【左右共用一眼タイプ・スマホ利用カメラ「Olympus Air A01」】
・2015.4.11 

【左右共用カメラ「PowerShot N/N2」】
・2015.3.18 


Canon デジタルカメラ PowerShot N2 自分撮りモード搭載 PSN2

201502Canon PowerShot N2

(画像:右手でも左手でも使える、360°全方向シャッター・リング)


・2013.5.15 
・2013.4.26 
・2013.1.30 
・2013.1.28 

130516lefthanded camera

(画像:右が2013年に買った「キヤノンPowerShot N」と、左が左手用フィルム・カメラ「京セラSAMURAI Z2-L」)

・2014.10.20 



【左手用カメラ「京セラ サムライSAMURAI Z-L/Z2-L」】
・2004.8.5 


 ●(2)心理的バリア

心理的バリアに関しては、これも前回の「【14年後の解説】━左利きの現状を見よう/左利き私論―はじめに(1)━」で紹介しましたように、少しずつ改善されてきてはいます。
左利きを一方的に「悪」と決めつけるような、理不尽な考え方はほぼなくなったといっても過言ではない、というところまで来ています。

反面、では「左利きを容認する」といっても、「積極的に左利きを擁護し支援しよう」という態勢とは違い、「黙認する」というレベルが大半のように思われます。

確かに一部「左利きフェチ」と呼ばれる人たちが出現し、左利きに好意を持つ人も増えてきました。
ところが、それによって、左利きの不便解消のために、具体的かつ積極的に社会の構造を変革しようという方向に進んでいるかと言えば、その段階ではありません。


明らかな目に見える差別は減ったけれど、社会の奥底にある偏見は残っている――依然、目に見えない心理的なバリアが大手を振って存在している、というのが現状でしょう。


 ●これからの社会

社会においては、右利きの人たちの側の問題もさることながら、左利きの人たちの側にも問題があります。

「生れつき左利きだから」という理由で身にしみついてしまった意識の問題です。

実は、自らの不便さにも気付いていない左利きの人も少なくないのです。
それは、「○○はこういうものだ」という思い込みや「どうせ××だから」というあきらめ、諦観から来るものです。

それゆえに、右利きの人たちがいかに恵まれた環境にいるのか、どれだけ楽をしているのか、という事実に気付いていない左利きの人たちが少なくないのです。
これも心理的バリアの重要な要素です。

「目覚めよ、左利き!」と叫ばずにはいられません。


この問題は、左手・左利き用品の普及により、改善されることでもあります。
そういう意味では、二つは相互に関連している、とも言えるのです。


成熟社会である現代は、「最大多数の幸福」を追求する時代ではなく、「万民の幸福」を求める時代だ、と私は考えています。

真に豊かな時代になるように、私たち左利きの人自身が、自分の問題は自分から進んで解決することが重要です。

左利きの問題を知ろう/左利き私論―はじめに(2)

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ホームページ『レフティやすおの左組通信』から―
(初出)2003.12(最終)2004.4.8

 *2018年1月3日 一部加筆修正
 *2018年1月9日 「14年後の解説」(別ページ)
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【2 左利きの問題を知ろう 】

では、「右利き偏重社会」における「左利きの問題」とはどういうものでしょうか。


 ●(1)物理的バリア

一つは、手にする道具や機械、あるいは生活や作業をする家および施設における設備や構造の多くが右利き仕様であるという、道具のようなものや環境といった“物的”なハード面の問題です。

道具類は近年いくつもの企業が左利き用品を製造販売するようになり、個人で解決できるようになって来ました。
まだまだ品種、品質、デザイン、価格など不満な点はありますが、改良されてきています。

しかし基本的には、左右共用可能なものはでき得る限り、共用化を進め、それが不可能な使う手を限定する道具においては、右利き用と同一価格で一定の比率の数量(例えば全体の一割以上)の左利き用を製造販売しなくてはならない、といったルールを設けるなどの社会全体のバックアップが必要ではないでしょうか。

施設面では、左利きの人にも不都合にならない設計を考える(例えば、両方に投入口の付いた自動改札機。役所や銀行の窓口の受付で申し込み用紙に記入するためのペンを用意しているがこのペンに紐をつけない、あるいはつけるなら紐を長くして左利きの人が困らないようにする)。
それが難しい場合は、一方的にどちらかが不利になることのないように、右にまわったり左にまわったりするような設計にするなどの工夫が必要でしょう。


 ●(2)心理的バリア

もう一つは、左利きに対する右利きの人たちの「偏見」あるいは無理解が生む、心のバリア(barrier/障碍、障壁)の問題です。

左利きに対する「偏見」を持った人がまだまだいます。
左利きは脳にある障碍が原因で起こると考える人がいます。
脳神経学的に見れば決してまちがっているとは言いきれない学説ですが、一般に言われる意味は必ずしもそういう学問的な意味合いではないと考えられます。
単なる中傷でしかありません。

また自分と異なる仕草振舞いのみを取り上げて、その違和感から左利きを「気持ち悪い」と毛嫌いする人がいます。
個人の好悪にすぎません。

あるいは左利きの人の字の書き方を見て「おかしい」と言う人がいます、左利きには左利きの書き方があるということを理解していないのです。
ただの無知、無理解です。

右利きと左利きの違いとは何かを理解していない人が多いのです。
利き手が違うとはどういうことか、利き手が違えば生活する上で何がどう違ってくるのか、大部分の右利きの人は何も知りません。
想像したことさえない、というのが真実でしょう。

未知のものに対する恐怖というものは、人間なら誰もが持っている根源的な感情です。
そういう気持ちが左利きに対しても無意識に働いているのかもしれません。しかしそれでは原始人となんら変わりません。

左利きに対するもうひとつの偏見は、左利きはこの現実の社会においては不利だ、というものです。
「右手が使えないと損をする。
 他の子と違うと子供がかわいそう。
 だから本人が大きくなってから困らないために、右手を使えるようにしてやるのが、大人の義務だ」
――と考える人がいます。
いわゆる「矯正」(かつて半ば強制的に箸使いや字を書くことなどを右手使いにさせることをこう呼んだ)の問題です。
左利きを右利きに直してやろう、というわけです。

確かに不利なこと、不便なことが多いのは事実です。
しかし、左利きの人はその時の気分で左手を使っているのでもなければ、親や社会に反発して困らせてやろうと左手を使っているのでもありません。
それがその人にとっての自然な性質にも基づく行為であるにすぎないのです。

何も強情を張っているのでもなければ、肉体的に劣っているわけでもないのです。
右手の代わりに左手を使っているにすぎません。
それは北半球で台風が左巻きであるのに対して、南半球では右巻きになるのと同じ違いです。
本質は何一つ変わりません。

とはいえ、さすがに左利きは生まれつきのものであるという考えが浸透して、何が何でも右利きに変えようという、かつては「矯正」と呼ばれた行為はなくなってきました。
しかし依然として、字は右手で書くものだ、左手で箸を使うのは見てくれがよくない、といった理由を挙げてこれらの行為に関しては左手使いをやめさせるべきだと考える人たちがいます。

これらの行為も本来はなんら問題にはならないものです。
見栄えの良し悪し、美醜の感覚はものさしによって変わるものですし、右手使いの人が皆美しい字を書いている、箸使いがきれいとは限りません。
左手使いでも美しい所作の人がいます、きれいな読みやすい字を書く人がいます。

これらの問題も所詮は、右利きの人の優越感の表明にすぎません。

現代における成熟した社会は、多様な価値観を認め、自由と平等の下に築かれるものです。
左利きには左利きの権利があります(しかしそれは決して「right/右、正しい、権利」ではないはずです)。

左利きだから、という理由で差別されることがあってはならないのです。
左利きだから、と圧力をかけられることがあってはならないのです。
真の民主的な社会にあっては。大人であれ子供であれ。

左利きの人が疎外感を感じることのない世の中になってほしいものだと思います。
 



【14年後の解説】━左利きの現状を見よう/左利き私論―はじめに(1)━


上記の文章は、2004年に書いたものです。

14年を経ても「左利きの現状」は、残念なことにあまり変化はありません。

大勢は、確かに左利きを忌避する傾向が減り(一部では「左利きフェチ」といった人が増えているといいます)、「左利きは左利きのままで」という子育てが浸透してきています。
また、左手・左利き用品もかなり普及し、特に子供用左手ハサミに関しては、左右平等がかなりのところまで進んでいます(まだまだデザイン等でハンディはありますけれど)。


しかし、上記の文章に例として挙げているもので言えば、自動改札機は、定期券やカード類はかざせばいいだけのタッチ方式になっている点のみが「進歩」です。

スリットに挿入する方式から比べれば、かざすだけのタッチ式は確かに「進歩」ですが、依然「向かって右側の一定の場所に」という大枠に変化はありません。
また、切符はスリットに挿入する方式のままで全く変化はありません。

乗車券の検知装置が左右に設置された機械は登場していません。
また、一定の割合で「左用」の自動改札機が導入されている、という話も聞きません。
十年経とうが二十年経とうが……、というところです。


書字に関しては、今でも一部には「右手使いを良し」と考える人たちがいます(主な理由は、「右手で書くのが作法だから」や「見栄えがよろしくない」というものから、「字は右手で書きやすくできている」に変化していますが)。

義務教育の現場では、毛筆においても右手使いを強要することはなくなったようです。
左手書きの研究も始まっているようで、いくつかの論文が散見できます。


総じて言いますと、パーソナルの分野ではかなりの進歩が見られるものの、社会的な環境ではまだまだ「右利き優先」の「右利き偏重社会」であることに変わりはありません。

それに楔を打ち込もうという左利き認知普及活動も、さほど見られません。

(1)左手・左利き用品を常時展示販売している文房具店・神奈川県相模原市の「菊屋浦上商事」

(2)2007年から8月13日の「国際左利きの日」に、箸を右向きに置く運動を続けている「レフチャス」

ぐらいのものでしょう。

一部のSNSで左利きのコミュニティをつくっているところもあるようですが、一般に開かれたものではなく、社会全体へのアピール度は低いように思われます。

後は、我田引水になりますが、
2003年のクリスマスから始めた、「左利き」をメインテーマにした私のブログ『レフティやすおのお茶でっせ』
2005年から始めて13年目に入る、私のメルマガ『左利きで生きるには 週刊ヒッキイhikkii』
ですね。


書籍では、2009年に、イギリスの「レフトハンダーズ・クラブ」を主宰する(自身左利きで左利きの子を持つ母でもある)ローレン・ミルソムさんの著書の翻訳、左利きの子育てガイド

(a)『左利きの子 右手社会で暮らしやすくするために』(ローレン・ミルソム/著 笹山裕子/訳 東京書籍 2009.4)

が出版されている点は、特筆すべきでしょう。
(ちなみに、巻末資料の作成には私も協力しています。)


他にも、左利き関係の本がいくつか出版されています。
中でも注目すべきものは以下の通りです。

日本の左利き・利き手研究の権威・八田武志さんの
(b)『左対右 きき手大研究』化学同人(DOJIN選書 18) 2008.7.20

イギリスの利き手・左利き研究の権威 クリス・マクマナスさんの
(c)『非対称の起源 偶然か、必然か』大貫昌子/訳 講談社ブルーバックス 2006.10

左利きの科学ジャーナリストが左利きの謎に挑み世界を駆けるサイエンス・ノンフィクション(日本での左利きゴルフ大会や日本人研究者も登場)
(d)『「左利き」は天才?―利き手をめぐる脳と進化の謎』デイヴィッド ウォルマン/著 梶山 あゆみ/訳 日本経済新聞社 2006.7

右利き偏重社会での左利き生活の不便さを語る
(e)『左利きの人々』渡瀬 けん/著 中経の文庫 2009.1

左利きの元教師が自身の書字「矯正」体験と左に戻した体験を通して、左利きの「矯正」に反対する本
(f)『ぼくは左きき 本当の自分であるために』度会金孝(わたらいかねたか)著 日本機関紙出版センター 2014/12/18


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*【左利きを考える―レフティやすおの左利き私論―はじめに】


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